共感疲労が教えてくれること

共感疲労という名の“静かな消耗”に、気づいていますか?

日々、誰かの話に耳を傾け、そっと寄り添う――

その在り方の中に、支援者としての誇りと使命を感じている方も多いことでしょう。

けれど同時に、胸の奥でこんな感覚を覚えたことはありませんか?

「気がつくと、いつもどこか疲れている」

「誰かの話を聞いたあと、自分の感情が揺れている」

「相手のことを思いすぎて、自分のことが後回しになっている」

共感疲労とは、大きなストレスや衝撃を伴う出来事だけではなく、
“日々くり返される共感”によって、知らず知らずのうちに蓄積される心の疲れです。

医師、看護師、介護職、教師、カウンセラー、ボディワーカー、セラピスト……

「人と深く関わる仕事」に就く人の多くが、 この“静かな消耗”を抱えながら、
今日も現場に立ち続けています。


一見、穏やかに見えるその姿の奥に、
「自分がもっとしっかりしなければ」
「ちゃんと受け止めてあげなければ」という
誰にも言えないプレッシャーや責任感を抱えてはいませんか?

相手への優しさが、時に自分自身をすり減らしてしまうこともあります。

あなたは今、どのくらい共感疲労を抱えていますか?

以下のチェックリストをチェックしてみてください。

□ 人の話を聞いたあと、どっと疲れることが多い
□ 相手の感情に強く引きずられる
□ セッションや支援のあと、一人になりたくなる
□ プライベートでも、誰かの話を聞き役になりがち
□ 自分の感情を置き去りにしているように感じる
□ 「助けなきゃ」と思う気持ちが強くなりすぎる
□ 相手の問題を自分の責任のように感じてしまう
□ 本当は疲れているのに、休むことに罪悪感がある

ひとつでも当てはまるものがあったなら、 あなたの中にすでに共感疲労のサインがあるかもしれません。

でも、大丈夫。 気づいたその瞬間から、自分を労わるプロセスは始まります。


私も瞑想ガイドとして働き始めた当初は、1日に3人もセッションをするとぐったりしていました。

瞑想センターには実に様々な悩みを抱えた人々がやってきます。

家庭のこと、職場のこと、お金のこと、健康のこと、子育てのことなどなど、
マンツーマンで生徒さんたちのお話を伺っていると心身ともに疲れ切ってしまうのです。

しかし、ある日を境に私は「苦しみ」に対する見方が大きく変わり、
それ以降、悩みを聞いて疲れることが軽減していき、
現在はどんなに人の悩みを聞いたとしても疲れることがなくなりました。

それは、人の苦しみに関するある考え方に触れたのがきっかけです。

今回はアティテューディナル・ヒーリングの考えを紹介しながら、
共感疲労について書いてみたいと思います。

※なお、以下の説明は筆者奥富が書籍やワークショップを通して理解したことを整理したものであり、
アティテューディナル・ヒーリングの公式的な見解ではないことをお断りしておきます。


「苦しみはプロセスである」という理解がもたらす癒し
〜アティテューディナル・ヒーリングから学ぶ支援者の心の在り方〜


対話を軸にしたヒーリングメソッドであるアティテューディナル・ヒーリングでは、
苦しみとは「問題」ではなく、「プロセス(過程)」であると捉えます。

「苦しみとは、その人にとっての変容・成長・気づきの道のりの過程にあるものであり、
排除すべきものではなく、内面の深い変容を促すために起きるものである」という考え方です。

私たちはつい、目の前の誰かが苦しんでいるのを見ると、
「何とかしてあげなきゃ」
「この人を助けなきゃ」
と思ってしまいがちです。

それは人として自然なことですが、その反面、
相手の苦しみを“解決しなければならない問題”として扱ってしまうと、
あるがままの相手の体験を否定したり奪ってしまうことにもなりかねません。

また、支援者の立場からすると
「問題を解決できない自分は無能だ」とか
「問題に向き合おうとしない被支援者はダメだ」
という自責や他責思考につながりかねません。

しかし、
この「苦しみはプロセス」という視点に立つことができると、
相手の苦しみを無理に終わらせようとせず、
自らの役割に全力を尽くしつつ、そのプロセスを見守る姿勢が育ちます。

「いま、この人はこの体験を通して、その人自身のプロセスを通過しようとしている。
同時に私はこの体験を通して自分自身のプロセスに全力を尽くそう」

そう思えた分だけ、自分は自分のすべきことに専心でき、
こちらの心が大きく揺れ動かされたり疲弊したりすることは軽減していきます。

これは、共感疲労を抱えている人にとって大きな転換点です。

相手のプロセスを尊重しながら自分のプロセスに集中する。

その視点には
苦しみに巻き込まれたり他者の痛みを背負ったりする必要がありません。

この理解があるだけで、心の負担は大きく軽減されていきます。


苦しんでいる他者への関わり方
〜アティテューディナル・ヒーリングの視点〜


1. 判断せず、共にいる(Non-judgmental Presence)

・他者を「このままではいけない人」「かわいそうな人」「助けが必要な人」と見なすことは、
無意識のうちに支援に不要な上下関係や相手をコントロールしようとする緊張を生みます。

• アティテューディナル・ヒーリングでは、
「私は助ける側/相手は助けを必要としている側」という前提を手放し、
ただ無条件の愛をもって共に存在することが癒しにつながると考えます。


2. アドバイスすることではなく、聴くことを大切にする
• 相手の話を聴いて「何かを直さなければ」
「助けになるアドバイスを言ってあげなければ」と考えるのではなく、
その人の存在を尊重して深く耳を傾けることが重視されます。

• 聴くとは、「相手を尊重すること」「相手を信頼すること」の現れです。

3. 他者の内なる癒しの力を信頼する
• アティテューディナル・ヒーリングでは、
誰の中にも癒しの力(愛)があるという前提に立ちます。
つまり、自分を「他者に癒しを与える存在」として見るのではなく、
その人の内なる力が目覚める空間を支える存在として自分を位置づけます。

4. 与えることと受け取ることは同じである
• 苦しんでいる他者に愛や優しさを向けることは、
自分自身への癒しでもあるとアティテューディナル・ヒーリングでは考えます。

• 助けることで、助けられる——この対等性が支援関係において
支援者と被支援者の尊厳を守り、互いを信頼し、健全な境界線を形作ることに役立ちます。

5. 「答え」を与えようとしない
• 苦しんでいる人に何かを「教える」、その人を正しい道に「導く」という態度ではなく、
その人自らが気づき、癒しに向かうプロセスを信じて寄り添うことが理想とされます。

• これは「being(存ること)」を重視し、「doing(何かをすること)」を
最優先にしないアプローチです。


また、アティテューディナル・ヒーリングとは別のアプローチとして
私自身、大いに考えさせられたものに
「The work」というメソッドを生み出したバイロン・ケイティの言葉があります。

ケイティはその著作の中で「他人の苦しみを理解することはできない」という言葉を述べています。

この言葉は、一見すると冷たい響きを持つかもしれません。

しかしこの言葉は、他者を助けないということではなく、
「たとえ苦しみという一見ネガティブに見えるものであったとしても
他者の体験には、その人自身にしか分からない深さや意味がある」
という、相手への深い敬意と謙虚さに裏付けられたものなのです。

じじつ、他者の苦しみを自分の解釈や経験に基づいて理解しようとするのではなく、
相手の言葉を注意深く聞き、ストレスを引き起こす自分の思考を問い直すことこそが
結果的に自分も相手も尊重することにつながり、お互いの助けになることが
「The work」に取り組んでみるとわかります。

私たちはしばしば、「相手の気持ちが分かる」と思いたくなります。

けれどその相手の気持ちとは、相手の人生経験、考え方、信念、価値観――
それら諸々の条件から生み出されたものであって、その背景を完全に知ることなどできません。

それは長年生活を共にしてきた家族や恋人同士であっても同様です。

ケイティの言葉は、「わからない」という真実を受け入れる勇気を与えてくれます。


アティテューディナル・ヒーリングとバイロン・ケイティ。
両者がもたらしてくれた「他者の苦しみとの向き合い方」を通して
私自身のあり方は大きく変わりました。

以前は、相手の苦しみを何とか取り除こうとして疲弊することがよくありました。

でも今は、相手の苦しみに触れても、それを無理にどうにかしようとは思わなくなりました。

苦しみに対する自分の心の動きに意識的になると、
以前の私は、他者の苦しみに苦しんでいたのではなく、
「他者の苦しみに無力な自分」を拒絶していただけなのだということに気づくようになりました。


とても自己中心的な思いから他者の苦しみに介入しようとしていたことがわかりました。


今は、他者の苦しみに直面してもそれに巻き込まれることはなくなり、

「どうしたら苦しみの背後にある可能性を一緒に探求していけるだろうか?」

そんなふうに、どこか静かなまなざしで、
相手の現状を尊重しながら関わることができるようになりました。


あなたは「苦しみのギフト」に気づいていますか?

ここで、ひとつ問いかけさせてください。

「苦しみ」は、本当に“悪いもの”なのでしょうか?

人が苦しんでいる姿を目の当たりにすると、

私たちは「早くこの苦しみを終わらせてあげたい」と感じます。

それは自然な反応であり、優しさの表れでもあります。

でも、その優しさの奥にある「苦しみ=取り除くべきもの」という前提が、
実は相手の大切な成長プロセスを見落とす原因になっていることはないでしょうか?

その苦しみに「意味」があるとしたら?

人は、苦しみを通してしか直面できない事実があります。

• 誰かに依存していたことに気づく
• 自分の本音を隠していたことに気づく
• 外側ばかりを変えようとしていたことに気づく
・問題を先送りしてきたことに気づく
・自分の可能性にフタをしてきたことに気づく
• 愛や優しさは、外ではなく内側にあったことに気づく
などなど…

こうした気づきや変容のきっかけとして、苦しみはしばしば人生の「転機」として訪れます。

あなた自身の人生を振り返ってみてください。

苦しみが大きな学びや成長をもたらしてくれたことはありませんか?

これまで最も苦しかった経験が、
いま振り返ると何かを変えるきっかけになっていたことはありませんか?


あなたが見ている「その苦しみ」は、誰のもの?

支援の現場で、誰かの苦しみに強く反応してしまうとき、
それはもしかすると、自分自身の中にある苦悩が刺激されているサインかもしれません。

他者の苦しみを何とかしたくてたまらなくなるとき、
その衝動の奥には、自分の内面にまだ癒やされていない何かが潜んでいるのかもしれません。

たとえば――
「こんな状況、私なら耐えられない」と思ったその背景には、
かつての自分自身の体験があるかもしれません。

あるいは「なぜこの人は手放せないのだろう」と憤りを感じるとき、
それはまだ完了していない自分自身のプロセスを映し出しているのかもしれません。

これは決して、悪いとか、未熟だということではありません。

むしろ、支援者という役割を通して「自分自身の内面と出会う機会が与えられている」とは言えないでしょうか?
(そうした意味で対人支援職とは、他の職業と比べて他者の苦悩と向き合う場面が多い分、
他者を通して自己の内面を見つめる機会=内面的に自己成長できる機会に恵まれていると言えます)

それは、自己の内面が統合され大きく成長するために必要な機会です。

その自己の内面を否定せず、ただ認めることで、支援の在り方も変わっていきます。

他者の苦しみを尊重するのと同じように、 自分自身の痛みにも敬意と優しさを向けてあげてください。

あなたの内なる旅路もまた、人生自体を豊かにするための大切なプロセスです。

そしてもし「自分の内側をもっと深く見つめてみたい」と感じたときは、
ぜひセッションという形でご一緒できれば嬉しいです。

一人では見えにくい心の風景も、誰かと共に見つめることで、
見えてくるものが確実にあります。
あなたがあなた自身と出会うその時間を、ニューアルケミーは心からサポートします。

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