
初めまして。心理セラピストの奥富浩司です。
私はかつて、
「瞑想さえすれば、あらゆる悩みは解決する」
そう信じていました。
実際、私の人生は瞑想によって大きく変わりました。心身の不調は劇的に改善し、それまでとはまったく違う世界が開けたのです。
瞑想を通して私が体験したのは、「私がいない境地」。いわゆるワンネスと呼ばれるものです。
「自分がいない。でも、すべてが自分」
言葉では表現しきれないそんな感覚を何度も体験しました。
「自分が自由になる」のではなく、「自分から自由になる」境地。
そこには「傷ついた私」「苦しんでいる私」という自我そのものが存在しません。だから当然、悩みも存在しません。
「これこそが答えだ!」
そう確信しました。
また、瞑想を通じた体験から、それまで全く興味がなかった仏教や聖書の言葉に魅かれるようになり、中国の老荘思想やインドのアドヴァイタ・ヴェーダーンタ哲学にも熱烈なシンパシーを覚えるようになりました。
仏教でいう「色即是空 空即是色」「天上天下唯我独尊」
聖書にある「私は有って有るもの」
アドヴァイタ・ヴェーダーンタで語られる「私は在る」
こうした言葉に触れたとき、心が震えるような感動と共に「まさに、自分が体験したのはこれだ」と強く感じました。
だから私は、「瞑想こそが人を根本から自由にする道だ」と、信じて疑わなかったのです。
理想と現実のギャップ
そして瞑想講師となり、多くの人に瞑想を教え始めました。
ところが、現実は私が思っていたものとは違いました。
瞑想そのものに取り組めない人が想像以上に多かったのです。
静かに座ろうとすると、雑念が押し寄せてくる。
身体が落ち着かない。
過去のネガティブな感情があふれてくる。
「今ここ」に意識を向けようとしても、様々な想念に飲み込まれてしまう。
私は何度も壁にぶつかりました。
「なぜ、私にはこれほど効果があったものが、他の人には届かないのだろう」
そんな疑問が、「瞑想さえすれば誰でも変わる」という私の確信を揺さぶり始めました。
さらに、私を驚かせたことがありました。
深い瞑想体験をし、「私がいない境地」を経験したはずの人の中にも、過去のトラウマや人間関係のパターンから自由になれない人が少なくなかったのです。
むしろ、「あれほどの体験をしたのに、なぜまだ苦しいのだろう」と、そのギャップに悩む人さえいたのです。
悟りの体験と、心の傷が癒えることは必ずしも同じではありませんでした。
私はそこで初めて「瞑想だけでは見えない領域があるのかもしれない」「一体どうしたらいいのだろう?」と考えるようになりました。
燃え尽きた朝
そして、そんな問いを抱えたまま悪戦苦闘しているうちに、私自身が燃え尽きてしまいました。
「瞑想講師としての役割をまっとうしなければ」と自分に鞭を打ち、満足に休みも取らず限界を超えて働き続けていた日々。
「自分が弱っているなんて思われてはいけない」
「人の心に寄り添う自分は、いつも穏やかでなければならない」
「どんな人のニーズにも応えられなければいけない」
そんな”理想の講師像”を、無意識のうちに自分に課していました。
でも、ある朝、ふと目が覚めたとき──何も考えられず、布団から出れなくなっている自分がいました。
まるで、心が真っ白になったかのようでした。
日々、周囲や人のために心を砕いてきたはずなのに、自分の心は置き去りにしていた。
そんな現実を突きつけられた瞬間でした。
でも今振り返ると、その燃え尽きがあったからこそ、私は「瞑想だけでは見えなかった世界」と出会うことができたのだと思います。
燃え尽き症候群から数年にわたる回復の過程で、私はさまざまな自己探究の方法や心理療法のアプローチを学び、実践していきました。
皮肉なことに、この回復のプロセスそのものが、「瞑想さえすれば」という私自身の一番強固なビリーフを解体していくプロセスにもなりました。
見えてきた地図
そうして見えてきたのは、こういうことでした。
セラピーやトラウマケアが取り組むのは、「自我を健全にしていく」プロセスです。
一方、瞑想が向かうのは、「自我そのものから自由になる」プロセスです。
この二つは、似ているようで、向かっている方向がまったく違います。
そして瞑想がうまく機能するには、ある程度健全な自我という土台が必要だったのです。
強い不安や恐怖を抱え、安心して座ることもできない状態では「自我から自由になる」どころではありません。
そもそも「自我」自体が十分に安定していないのです。
私はずっと、相手の土台が整う前に、その先のものを教えようとしていたのです。
そうした姿勢そのものが、生徒たちに瞑想がうまく届かなかった理由だったのだと今は思います。
そして燃え尽きを通して、瞑想への信頼は失われるどころか、以前よりずっと深まりました。
瞑想を否定するのではなく、瞑想が本来どこで力を発揮するものなのかが初めて見えるようになったからです。
さらに昨年、南インド・アルナーチャラで過ごした時間の中で、それまで学んできた別々のピースが一つの地図としてつながりました。
神経系を整えること。
過去の傷を癒すこと。
自分が信じている前提(ビリーフ)を見直すこと。
自我から自由になること。
これらは別々の方法ではありませんでした。
互いに影響し合いながら、一つの循環を変えていく営みだったのです。
今、私が考えていること
最近、「神経系を整えれば人生は変わる」という発信をよく見かけます。
私は、この流れ自体は良いものだと思っています。
「もっと前向きに考えよう」「相手を許そう」「感謝しよう」そんな言葉だけでは変われない人はたくさんいますし、効果的なメソッドが十分に機能しないケースは少なくありません。
心身が緊張している状態では、たとえ頭で理解したとしても、人は変化を受け入れることができません。
だから呼吸法やボディワーク、睡眠、運動、食事、安心できる時間などを通して、神経系を安定させるアプローチはとても重要です。
ただ、私たちは神経系の不調だけで苦しむわけではありません。
私たちは無意識のうちに、「世界はどんな場所なのか」「私はどんな存在なのか」という前提を通して現実を見ています。
そして、その前提の多くは過去の経験の中で形づくられています。
過去の経験が前提(ビリーフ)をつくり、その前提が未来を予測し、予測から神経系が反応し、その反応に基づいた経験がまた前提を強化していく。
私は、多くの苦しみはこの循環によって維持されているのではないかと考えています。
だから今の私は、「神経系」「トラウマ」「ビリーフ」「瞑想」そのどれか一つだけが答えだとは考えていません。
身体や環境を整えること。過去の痛みに寄り添うこと。自分が信じている前提を問い直すこと。自我から自由になること。それぞれの取り組みが互いに影響し合いながら、苦しみを支えている循環そのものを少しずつ変えていく。
もちろん、これが唯一の答えだとは思っていません。
それでもこれは、約20年にわたる探究と実践の末に、今の私がもっともしっくりきている一つの見取り図です。
もしあなたが今、苦しみから抜け出せずにいるとしても、それは「努力が足りないから」ではなく、「まだ効果的な方法に出会えていないせい」でもないのかもしれません。
それはただ、まだ自分に合った「とっかかり」が見つかっていないだけなのかもしれないのです。
苦しみから抜け出す道は、人それぞれ違います。そこに唯一絶対の道はありません。
だから私は、どれか一つの方法を勧めるのではなく、その人に合った道筋をセッションを通じて一緒に見つけていきたいと思っています。
自分なりに課題を解決する実践を続けているが、どこかに限界を感じている方。頭ではわかっているのに、同じパターンを繰り返してしまう方。「変わりたい」という気持ちと、「このままでいい」という気持ちの間で揺れている方。そうした方は少なくありません。
もしあなたが今、「心がついてこない」「頑張りすぎている気がする」──そんな感覚を抱えているなら、一度お話を聞かせてください。
自分の循環を知るだけで、景色は変わります。

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※セッション全般に関する疑問やご質問、どのセッションを受けたらよいのかわからないというお問い合わせにお答えします。オーダーメイドのセッションも可能です。
奥富浩司:1977年生まれ。30歳の時に瞑想と出会い、自己探究の道へ。以降、瞑想センターでガイドをするかたわら、各種瞑想法、心理療法の研究を続け、現在は心理セラピストとして活動。
これまで学んできたこと…ヴィパッサナー瞑想、坐禅、心を引き算する瞑想、Oshoの各種瞑想法、バイロン・ケイティ「ザ・ワーク」、ディマティーニ・メソッド、NVC(非暴力的コミュニケーション)、REBT(論理情動行動療法)、TRE(トラウマ・リリース・エクササイズ)、インナーチャイルド・ヒーリング、IFS(内的家族システム)、NLP(神経言語プログラミング)、スキーマ療法、催眠療法など
趣味は瞑想すること、セラピーの研究・開発をすること。これに関連した読書も好きです。Osho、クリシュナムルティ、ニサルガダッタ・マハラジ、ラマナ・マハルシ、バイロン・ケイティ、ジョエル・ゴールドスミス、トニー・パーソンズなど非二元系の書籍をよく読みます。座右の書は「神の慰めの書」(マイスター・エックハルト著)。
